大戦初期、長大な航続距離、重武装、優れた格闘性能により、連合国の戦闘機に対し圧倒的な勝利を収めたことから、当時の連合国パイロットから「
ゼロファイター」の名で恐れられた。しかし、大戦中期以降、連合国側新鋭機の大量投入や日本側のベテラン搭乗員の損失からその戦闘力の優位は失われ、大戦末期には多くの日本機と同様、
特別攻撃機としても使用された。
当時の軍用機は採用年次の
皇紀下2桁を名称に冠する規定になっていた。零戦が制式採用されたは皇紀2600年にあたり、下2桁が「00」であるため「零式」という名称になった。なお
日本陸軍(以下、陸軍)では同じ年に採用した兵器を一〇〇式と命名している(例:
一〇〇式司令部偵察機、
一〇〇式重爆撃機)。海軍は零戦の水上機型である
二式水上戦闘機などを最後に年次名称を廃止したため、大戦後期に主力となった局地戦闘機「
紫電二一型(紫電改)」や「
雷電」などには年次名称はない。
「(戦時中、英語は敵性語として使用を制限されていたから、)『零戦』を『ぜろせん』と読むのは誤り」と言う者もあり、定説の様に思われていたが、戦時中の新聞報道に「兵士たちにはゼロセンと呼ばれており……」という記述があることからも、「ぜろせん」「れいせん」の両方が使われていたと考えられる。
渡辺洋二の著書や
坂井三郎を始めとする関係者の話からも、「ぜろせん」という言葉は当時から一般的であり、中央から現場(実戦部隊)にいくにつれて「れいせん」より「ぜろせん」、時代が下るにつれて「れいせん」より「ぜろせん」と呼ばれる傾向が読み取れる。後半以降は部隊では「ぜろせん」であったらしく、
11月23日付の
朝日新聞で初めて零戦の存在が公開された際も「荒鷲などからは零戦(ゼロセン)と呼び親しまれ」とルビ付きで紹介されている。反対に一見それらしく思われる“ゼロファイター”の和訳が戦後一般化したという説には根拠が存在しない。