慶尚南道金海市進永邑(チニョンウプ)烽下(ポンハ)の貧しい農家に生まれる。苦しい家計を思い、一度は高校進学を諦めるが、兄の強い説得と助力で釜山商高に進学した。在学中に農協の就職試験を受けるも叶わず、卒業後に「三海工業」という小さな魚網会社に就職するが、その待遇に失望して一カ月半で退職。司法試験への挑戦を決意する
[『韓国の希望 盧武鉉の夢』、115-116頁及び134頁。盧武鉉が貧しさ故に高卒で社会に出たこと、就職に失敗して独学で弁護士の道を志すようになったことは、盧武鉉の政治家人生における一種の稀少価値となった。]。当時、高卒では司法試験を受ける資格が与えられなかったが、村外れのぼろ家に手を加えて「磨玉堂」と名づけて勉強の場とし、日雇い労働をしながら
1966年11月に資格試験(司法及び行政要員予備試験)に、
1971年に三級公務員の一次試験に合格。
兵役をはさんで勉強を続け、
1975年司法試験に合格した。司法研修院で研修を終えた後、
1977年大田地方法院(裁判所)判事に就任。
1978年判事を辞めて弁護士事務所を開業。租税関連の訴訟を専門としていたが、
1981年に別の弁護士の代理として
釜林事件の弁護を引き受けた事が転機となり、人権派弁護士として活動を始めた。