入省後は地方を廻り、
1927年(昭和2年)から函館税務署長、
1929年(昭和4年)から宇都宮税務署長を務める。しかし宇都宮税務署長の時に落葉性天疱瘡を発症したため、大蔵省を休職する。病気はなかなか治らず、
1931年(昭和6年)に2年間の休職期間が切れたため大蔵省を退職することになる。生死を彷徨った闘病中には、直子夫人との死別、看病に献身した親戚の大貫満枝との再婚といった出来事もあり、長い闘病生活は池田の人生観に大きな影響を与えた。
1934年(昭和9年)に奇跡的に病気が完治、大蔵省を退職していたため池田自身は
日立製作所への転職を一度は決めていた。しかし大蔵省より強く勧められ復職する。