阿蘇山・
英彦山を中心に総
降水量が1,000
ミリを超える記録的な豪雨により、九州最大の河川である
筑後川を始め九州北部を流れる
河川が全て氾濫(はんらん)、流域に戦後最悪となる水害をひき起こし死者・行方不明者
1,001名、浸水家屋
45万棟、被災者数
約100万人という大災害となった。この水害により筑後川など九州北部の河川における
治水対策が根本より変えられることになり、現在においても
計画高水流量の基準となっている。
1953年6月当時の九州地方の気象概況は、上旬に梅雨前線が一旦九州中部に停滞し大雨を降らせたがその後
奄美大島付近まで一旦南下し、奄美大島と
屋久島の間を上下するという状態であった。一方
ルソン島付近にあった
太平洋高気圧が次第に勢力を強くして梅雨前線を押し上げ、
6月21日には
対馬海峡付近に達した。ところが今度は
中国大陸より
移動性高気圧が九州方面へと張り出し、再度梅雨前線は南下して屋久島まで戻ったものの再度太平洋高気圧に押されて北上した。こうして南北から高気圧によって押された梅雨前線は阿蘇山付近に
6月23日頃より停滞、そこに高気圧から吹く湿った暖かい空気が梅雨前線に流れ込むことによって前線が刺激され、さらに例年屋久島付近を通過するはずの
低気圧がこの時は
朝鮮半島・対馬海峡付近を次々通過。こうした気象条件が重なり九州北部地域に未曾有(みぞう)の大雨をもたらした。
加えて阿蘇山では同年4月に
噴火を起こしており、堆積した
火山灰が豪雨によって
土石流となった。また筑後川上流域は堅固な
安山岩や
溶岩を主体とする
地質であり、透水性に乏しかった。さらに戦中・戦後に山間部は森林を乱伐していたこともあり森林の保水力は極端に低下していた。こうした地質・
植生状況に加え地形的要因も洪水被害を増幅させた。すなわち阿蘇山
外輪山や筑後川上流域は河川の
流域面積が広く、ここに広範囲かつ持続的な豪雨が降り注いだことで下流地域へ一挙に洪水が押し寄せたことも、被害を大きくしている。