藤原惺窩ら儒学者とも交友を持った角倉素庵(了以の子)が出版業を思い立ち、本阿弥光悦、
俵屋宗達らの協力で出版したものが嵯峨本といわれる古活字本である。
17世紀の始め(
慶長・
元和期)に作られ、雲母刷の用紙を使ったり、装幀に意匠が凝らされた豪華本であった。
嵯峨本は一文字一文字の活字を組み合わせるのではなく、光悦が書いた縦書き、崩し字の文字を数字(2-3字など)単位で木活字に作り、組み合わせて製版していた。制作に手間がかかり、また繰り返し版を重ねるには
木版印刷の方が容易であることから、やがて木活字は衰え、日本の
印刷の歴史は活字印刷から木版印刷に逆行するような形となった。