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「岩手郡」||オートバイ-master.com [07/06update]|オートバイの情報を無料でお届け!

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岩手郡(いわてぐん)は、岩手県(陸中国)の盛岡都市圏の北部を占める。滝沢村以外は人口が減少している。
岩手郡、県内位置図1.雫石町、2.葛巻町、3.岩手町、(4.西根町)、5.滝沢村、(6.松尾村)、(7.玉山村)、(8.安代町)
以下の3町・1村を含む。
雫石町(しずくいしちょう)
葛巻町(くずまきまち)
岩手町(いわてまち)
滝沢村(たきざわむら)

◆ 由来
岩出の森」に由来という説がある。文献に表れるのは、平城天皇の御代に陸奥国磐手の郡から献上された鷹を愛で、帝がつけた名前「磐手(いはて)」(大和物語第152段)が最初という。大納言はこの鷹を取り逃がしてしまい、奏じるのを躊躇っていたがついに口にすると、これを嘆いた帝は何も言わなかった。なぜ何もおっしゃらないのかと問うと、「いはて思ふぞ言ふにまされる」(言わないことこそが言うことよりも思いは勝るのだ/言わぬ程に磐手を深く思っている)と鷹の名に掛けて詠じたという。この歌は、古今和歌集本歌取りで、源氏物語でも引用されている。同音である「岩手=言わで」「口無し=梔子」の連想から、「言いたくても言えない切なさ」を表す歌枕となり、平安文学の世界では、梔子染めの山吹色が「岩手の里」の情景を示す言葉となった。
・ 心には 下行く水のわきかへり 言はで思ふぞ 言ふにまされる - 古今和歌集六帖
・ くちなしの 色とぞみゆる 陸奥の いはての里の 山吹の花 - 夫木和歌抄

◆ 沿革
1878年(明治11年) - 岩手郡が分割され北岩手郡南岩手郡が成立した。
1889年(明治22年)4月1日
  ・市制施行により盛岡市が南岩手郡から分立した。
  ・町村制施行 - 北岩手郡(1町10村)・南岩手郡(14村)
1896年(明治29年)3月29日 - 北岩手郡と南岩手郡が合併して岩手郡となった。(1町24村)
1928年(昭和3年)4月1日 - 米内村が盛岡市に編入された。(1町23村)
1940年(昭和15年)1月1日 - 厨川村が盛岡市に編入された。(1町22村)
・1940年(昭和15年)12月23日 - 雫石村が町制施行して雫石町となった。(2町21村)
1941年(昭和16年)4月10日 - 浅岸村中野村本宮村が盛岡市に編入された。(2町18村)
1948年(昭和23年)7月1日 - 葛巻町と江刈村九戸郡から岩手郡に移った。(3町19村)
1954年(昭和29年)4月1日 - 玉山村、薮川村渋民村が合併して玉山村となった。(3町17村)
1955年(昭和30年)2月1日 - 簗川村が盛岡市に編入された。(3町16村)
・1955年(昭和30年)4月1日(3町12村)
  ・太田村が盛岡市に編入された。
  ・雫石町、西山村御明神村御所村が合併して雫石町となった。
・1955年(昭和30年)6月1日 - 巻堀村が玉山村に編入された。(3町11村)
・1955年(昭和30年)7月15日 - 葛巻町、江刈村、二戸郡田部村が合併して葛巻町となった。(3町10村)
・1955年(昭和30年)7月21日 - 沼宮内町御堂村川口村一方井村が合併して岩手町となった。(3町7村)
1956年(昭和31年)9月30日 - 大更村平館村田頭村寺田村が合併して西根町となった。(4町3村)
2002年(平成14年)4月1日 - 安代町二戸郡から岩手郡に移った。(5町3村)
2005年(平成17年)9月1日 - 西根町・安代町・松尾村が合併し、八幡平市が発足、郡より離脱。(3町2村)
2006年(平成18年)1月10日 - 玉山村が盛岡市に編入され玉山地域自治区となる。(3町1村)