以降穏和な論調に転じ、
1897年に社長に就任した
原敬の指導の下、紙面の平易化、家庭面、海外通信の充実が図られ、部数を伸ばす。そして、日露戦争時には戦況報道、講和交渉の報道で他紙をリードするが、この頃から『
大阪朝日新聞』との拡販競争や論戦が激化する。
1906年、東京の『電報新聞』を買収の上、『毎日電報』に改題して念願の東京進出を果たし、
1911年には歴史と伝統をもつ『東京日日新聞』の日報社を合併。『東京日日新聞』を承継して『毎日電報』をこれに合流させ、東京の拠点を強化。これで漸く朝日と肩を並べることとなる。
1915年『大阪朝日新聞』と協定の上夕刊の発行を開始。
1922年、九州地区で附録『西部毎日』(現・西部本社の源流)を創刊。
1924年 東海地区で附録『中京毎日』(現・中部本社の源流)を創刊。そして、
1935年11月25日、『大阪朝日新聞』と共に門司と名古屋で新聞の発行を開始。朝日と競争する形で全国紙への道を歩んだ。