東京都立工芸高等学校を経て
学習院大学文学部ドイツ文学科入学後、演劇部に入部。当初は道具係だったが、上背があるということで無理矢理舞台にあがらされたという。その後、1年先輩でフランス文学科の
篠沢秀夫(現・学習院大学名誉教授)に見出され、篠沢が企画していた仏語劇『ブリタニキュス』(
ラシーヌ作)の主役に抜擢される。フランス語はまったく知らなかった児玉だったが、見事に演じ切り高い評価を得た。とはいえ、児玉は本来は役者志望ではなく、大学卒業後は大学院進学を目指していた。しかし、学部卒業式の当日、母の急死により就職先を探さねばならず、就職活動のシーズンも終わっていたため就職先が決まらず結局、知人が手を回して応募してくれていた
東宝映画第13期ニューフェイス(新人俳優の募集)の面接試験に行き、合格。当日朝に急に思い立って行ったため水着持参であることも知らず水着オーディションで下着のパンツ一枚で参加し審査員の奇異の目にさらされるも、質問にウィットあふれる回答を返し、逆に歓心を買った、という逸話がある。この逸話は『
トリビアの泉』や著書『負けるのは美しく』(集英社)で明かされている。
1964年8月、東宝専属の中堅女優だった
北川町子と結婚。まもなく彼女が女優を辞めたために会社ばかりかベテラン女優の
賀原夏子からも残念がられ彼女が復帰する際は知らせてほしいと言われめげる。結局、細切れのカット割り撮影の映画では俳優として伸び悩むが、テレビ出演では肌が合っていたのか、好評で1967年に東宝を退社してフリーとなり、テレビに活動の場を移す。
水前寺清子主演の『
ありがとう』で一躍人気を得て、以後ホームドラマなどで大活躍する。しかし、テレビドラマも機器の向上と演出方法の変化によりカット割りが多くなり、通しでの演技ができなくなったことから徐々に仕事を減らすようになった。