ユダヤ系ドイツ人
ポール・ジュリアス・ロイターは、フランスのアヴァス通信社(現
フランス通信社)で通信社の経営を研究した後、
ロンドンに移り「正確かつ迅速」なニュースの集配で信用を築く。
1851年には英仏海峡における
海底ケーブルを使ってパリの相場情報、ロンドンの金融情報を各地に配信する。金融街における信用を築き、東方への道を開いたロイターは
1870年に、元の勤務先、及びドイツの
ヴォルフと市場分割協定を結び、
AP通信(1892年に発足)が基盤を持つアメリカを除く世界のニュースを3社で独占。この「大同盟」は、APに破られるまで、ロイターの世界支配の基盤となった。このためテリトリーとなる極東には
アジア・ハイウェイ(
上海 -
長崎、
ハバロフスク - 長崎)が上陸してすぐに、幹部を派遣して視察している(支局については不明な点が多い)。彼等の目論見どおり日本の新聞社は外信を欲し、中国・日本における「ロイテル電」はロイターの
ドル箱となり、この「宗主国」を富ませていた。