ハマノパレード wikipedia|無料辞書
|主 = (株)ホースタジマ
|績 = 20戦8勝
|金 = 9016万4400円
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◆ 戦績
「最強世代」のひとつとされる1972年
クラシック世代の1頭。小柄で華奢な馬であったが、入厩当初から調教で軽快な動きを見せ、その素質はデビュー前から高く評価されていた
[『サラブレッド101頭の死に方』279頁。]。しかし
骨膜炎で初出走予定が1ヶ月遅れた
影響もあり、初勝利までには年を跨いでの4戦を要した。その後、2月までに特別戦を2勝して
クラシック[この年は関東で馬インフルエンザが発生し、1、2月の東京開催が中止、春のクラシック開催が順延されていた。]に向かおうとしたが、皐月賞への前哨戦では9着と精彩を欠く。さらに休みなく出走を続けていたことにより、
東京優駿(日本ダービー)を目指しての
京都4歳特別出走時には、当初430kgあった馬体重が410kgまで減少していた。このため陣営はクラシックを断念、ハマノパレードは休養に入った。
次走は宝塚記念に出走。得意の中距離戦ながら4番人気という評価だったが、スタートからハイペースで後続を引き離し、最後の直線では2番手につけたタイテエムに一瞬馬体を併せられるが、先頭で粘り切り、芝2200メートル2分12秒7の日本レコードタイムで優勝した。
◇ 予後不良、屠殺
続いてハマノパレードは
高松宮杯に進んだ。このレースでも1番人気の天皇賞馬・
ベルワイドを相手に、宝塚記念と同様のレース運びで先頭を進んでいた。しかし最後の直線に入り、2番手の
タケデンバードを突き放し逃げ切り勝利を収めるかと思われた瞬間、ハマノパレードは前のめりに転倒した。前脚を骨折しており、馬運車に収容されたその場で
予後不良の診断が下る致命傷であった。
現在であれば予後不良の診断が下された馬は、薬物投与による安楽死の処置を執られることが原則となっているが、ハマノパレードにそうした対応は行われず、痛みでもがき苦しむ状態のまま食肉業者に売却され、翌朝になって
屠殺された
[青木 13頁。]。
その馬肉が中京競馬場に近い名古屋地区の食肉市場に「
さくら肉『本日絞め』400キログラム」という品目で売りに出されていたことが食肉業者の間で噂として拡がり、やがてこの事実が
スポーツニッポンで記事として取り上げられ、大きな反響を呼んだ
[青木 14頁。]。
その後、時代の変遷に伴う動物愛護意識の浸透と共に、重度の故障を発症した競走馬については屠殺が原則的に行われなくなり、予後不良の診断が下ってその後の必要な諸手続きが完了次第、即刻薬殺されるシステムが整備されていった。当時、記事を執筆した船曳彦之丞(JRA騎手・
船曳文士の父)は、「ハマノパレードが犠牲になったからこそ。あの問題提起がなかったら、旧態依然のまま出来事はベールに包まれていたと思う」と語っている
。
◆ 競走成績