ダニエル・フォー(Daniel Foe)は、
ロンドンの肉屋ジェームズ・フォーの息子として生まれた。彼は後に貴族的な響きを持つ"De"を名前につけ、
ダニエル・デフォーをペンネームとした。これはフォー(foe)には「敵・反対者・障害」という負の意味があったのを嫌ったためとされ、“ダニエル・デフォー”のペンネームに落ち着くまで、“ダン・フォー”や“ダン・デ・フォー”と、何回かペンネームを変更している。
デフォーは有名な
パンフレット作者、ジャーナリストとなり、そして、英語での小説が書かれ始めた時期に作家となり、先駆者の一人として知られる。パンフレット作成及び政治的な活動により捕らえられ、
1703年7月31日にさらし台にあげられた。これは、ハイ・チャーチ(
英国国教会の一派)および
トーリー党が非国教徒の絶滅を主張していたのを、痛烈に皮肉ったパンフレット"The Shortest Way with Dissenters"が主な原因とされている。そこで「さらし台への賛歌」(Hymn to the Pillory)を発表し、そのため観衆は、
さらし台にあげられたものへは汚物を投げつけるのが習慣だったにも関わらず、彼に花と飲み物を与えた。